撮影日時 | 2019/06/24 15:41:45 |
メーカー | NIKON CORPORATION |
モデル | NIKON D810 |
撮影感度 | ISO-400 |
露出時間 | 1/25 (s) |
F値 | f/16 |
焦点距離 (35mm換算) |
18 mm (18 mm) |
フラッシュ | ストロボ発光せず |
露出補正値 | 0 |
ホワイトバランス | マニュアル |
デジタル・ズーム比 | 1 |
ソフトウェア | Ver.1.14 |
ボンタン
ニックネーム「ボンタン」は私の故郷の名産である柑橘の名前です。 直径20cm位の黄色い実が生ります。 甘さ控えめ、割合さっぱりとした味で大人の味です。 なんと皮の厚さが2cm近くもあり、その皮や実を加工して色々なお菓子が作られています。 キヨスクなどではボンタン飴として販売されています。 小さいころのおやつにもなっていました。 (ニコギャラ時代に全く知らない人に何の挨拶もなく、多くの画像を盗まれ、あたかも自分の写真のようにニコギャラではなく別のHP使われているのを2ヶ所も見つけました。フォトコミ仲間以外の人向けに警告として著作権を画像の中に主張しています)
写真総数 | 1465 枚 |
アルバム数 | 89 冊 |
2019/07/11 09:38:39
ボンタンさんなら、島流し希望とか・・汗!
カメラを持ってそそくさと・・
2019/07/12 11:56:18
それは、浜ちゃんでしょう!
釣り道具を持って。
次回は甑島で釣りをしてみたいなあ。
2~3泊はしないと・・・海でテント泊。
2019/07/06 15:03:53
南国独特の風景ですね。石垣と植物が南国ですね。武家屋敷跡らしいですが殺気を感じさせない、おおらかな石垣ですね。
2019/07/08 06:23:54
石垣の風情が気に入りましたよ。
確かに仰るようなおおらかな感じですね。
丸い石がそんな感じにさせるのでしょう。
2019/07/04 18:24:21
島津藩の藩士なんでしょうね。
島流しというわけでは・・?
2019/07/08 06:22:32
ちょうど花の季節も終わった時期で行くところも無く、歴史も観光案内も全く調べずに同級生の思い付きで出かけました。
どうなんでしょうか。島流しにはもってこいですが。
海の幸は取り放題で案外楽かも?
2019/07/04 10:49:57
武家屋敷跡を調べてみましたら、日野市とのつながりがあり、ボンタンさんと仲良しになれたのは先祖でしたよ(笑)
上甑島の里地区には、小川氏が統治していた頃の名残として武家屋敷通りがある。
亀城跡:承久の乱(1221年)で戦功を残した鎌倉時代の武将小川氏の子孫、季直が地頭として島へ下り築城しました。
この小川氏は、西党であり平安時代から戦国時代にかけて武蔵国西部、多摩川流域を地盤とした武士団である。
西党は武蔵国の勅旨牧、由井牧(八王子市)・小川牧(あきる野市)の多摩丘陵等の丘陵地帯を基盤として発展したと思われる。
一族は多摩川やその支流である浅川、秋川などの流域に住っていた。
室町時代には西党の勢力圏で分倍河原の戦いや立河原の戦いなど大きな戦いが次々と起き、戦国時代になると滝山城や八王子城が次々と建てられた。
西党の一族で、小川氏は武蔵国の勅旨牧の1つ、小川牧を基盤としていたと言われる。その後、薩摩国甑島に領地を得、土着している。
2019/07/04 14:05:32
あれまあ、ありがとうございます。
相模原のカメラマンさんの方が詳しいですね。
亀城後にも登ってみましたよ。
小川氏は武蔵国の出身でしたか。ビックリです。
何か縁がありますね。
歴史をもっと勉強しなくてはいけませんでした。
今度はボンタンが薩摩から神奈川に土着します。😃