2022-3-23伊豆_040.JPG
この写真の説明
まずは南伊豆町の入間の千畳敷です。海に目が行きがちですが、背景の枯れた草木をまとった岩山も魅力な姿をしてます。火山の山であるかのような岩肌も、魅力の一つです。
既に日は傾き山肌は赤みを帯びてました。16mmでも全容を捉えきれない雄大さです。画面前面に江戸時代の石切の跡を大きく入れた構図で仕上げました。もう少し引いて撮っておけばと思える出来栄えです。
結局は、今回、興奮のあまり千畳敷全体を見ずに部分を見て撮り始めたのがその要因のようです。
撮影日時 | 2022/02/28 16:38:03 |
メーカー | NIKON CORPORATION |
モデル | NIKON D850 |
撮影感度 | ISO-64 |
露出時間 | 1/4 (s) |
F値 | f/18 |
焦点距離 (35mm換算) |
16 mm (16 mm) |
フラッシュ | ストロボ発光せず |
露出補正値 | 0 |
ホワイトバランス | 自動 |
デジタル・ズーム比 | - |
ソフトウェア | NX Studio 1.0 W |
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撮影日時 | 2022/02/28 16:38:03 |
メーカー | NIKON CORPORATION |
モデル | NIKON D850 |
撮影感度 | ISO-64 |
露出時間 | 1/4 (s) |
F値 | f/18 |
焦点距離 (35mm換算) |
16 mm (16 mm) |
フラッシュ | ストロボ発光せず |
露出補正値 | 0 |
ホワイトバランス | 自動 |
デジタル・ズーム比 | - |
ソフトウェア | NX Studio 1.0 W |
s_shibata
始まりはこのニコン。 いつの時代も価格は大卒の初任給の二倍と言われるニコンの一桁機、 その二代目F2です。 77年発売のF2のフォトミックAの黒いボディーです。 無骨な頭デッカチですが、機械式カメラの頂点です。 愛知・豊橋のカメラ屋で手にいれましたが、当時ニコンはヨドバシカメラには 卸してないと聞いてました。 理由はニコンが一強の時代、ヨドバシが安くうりニコンのブランドイメージを壊す からです。 そんなニコンと共に年を重ねて40年。 さいわいに、わたしもニコンも未だ現役。 これからもニコンで写真のある生活をたのしんでいきたいとおもいます。 (2017/2/17記)
写真総数 | 549 枚 |
アルバム数 | 54 冊 |
2022/03/20 11:26:28
s_shibataさん こんにちは!
夕陽の光の影響とは言えとても特徴的な場所ですね。
風化浸食されて出来上がったのか地層がむき出しになって崩れてしまったところには草が生えず荒々しい様相を見せています。
詳しくはありませんが、一見石灰岩の地層のような感じを受けます。
地層そのものに迫って撮るのも良さそうです。
手前の潮だまりは直線的な枠が人工的に見えるので何か漁業に関係した構造物があったのでしょうかね。
2022/03/20 18:22:41
ボンタンさん
南伊豆町の最後の秘境です。
海と言うよりは山岳のトレキングです。
キャンプ道具を担いで夕景を撮り、テント泊で翌朝は
朝焼け狙いが良さそうです。
大きく広く平らな岩礁の水面は、
江戸時代の石切場の跡です。すぐ前が海ですので、
切り出した伊豆石は海路で
江戸まで運ばれました。今の高輪あたりに船が着き、そこからは牛車で江戸城まで運ばれてました。
明治の初めまで、高輪には牛舎が有ったそうです。
江戸城の石垣はほとんどがこちらの伊豆石で組まれました。
2022/03/13 22:31:32
s_shibataさん こんばんは
今回はダルマ太陽・天の川とラッキーでしたね
千畳敷よりも 赤サンゴのような岩の中央に忍者がいるようですね(笑)
2022/03/14 19:56:27
天の川からダルマさんとラッキーが続きました。
しかしながら、風や波は相変わらず強くこれら
を避けての撮影です。下田の白浜海岸は東向きの
海岸ですから、唯一、風や波に影響されない撮影地です。
冬の伊豆は西風が強いのです。
一週間間居ましたがまともな撮影は3日間でした。
2022/03/09 13:58:22
s_shibataさん
こんにちは。ここ千畳敷にはあちらこちらに石を切り出した形跡が見られ江戸や小田原に運んだようですが城の石垣などに使われてのですかね。大きく切り出しているように見え、相当な重量物を当時はどんな方法で輸送したのでしょうかね。想像が付かず凄いものです。
2022/03/09 21:02:18
江戸城の石垣のほとんどは伊豆石で作られてます。
緻密な石組みです。
運搬は全て海路です。すぐ前が海ですし、大きく重いものは今も昔も船が一番です。
品川の隣り高輪に船で運ばれて、高輪からは江戸城まで牛車です。明治の始めまでは
高輪に牛舎が数軒残っていたそうです。牛持ち達の住まいは武家屋敷の市ヶ谷でした。今は日本一の高級住宅地です。広重の浮世絵の東都名所、高輪之夕景には牛車を曳く牛が描かれてます。
高輪の泉岳寺駅に事務所がありましたので、この辺りのことは少し詳しいのです。