撮影日時 | 2016/03/04 12:54:45 |
メーカー | NIKON CORPORATION |
モデル | NIKON 1 J4 |
撮影感度 | ISO-160 |
露出時間 | 1/400 (s) |
F値 | f/4.5 |
焦点距離 (35mm換算) |
10 mm (27 mm) |
フラッシュ | ストロボ発光せず |
露出補正値 | 0 |
ホワイトバランス | 自動 |
デジタル・ズーム比 | 1 |
ソフトウェア | Ver.1.00 |
s_shibata
始まりはこのニコン。 いつの時代も価格は大卒の初任給の二倍と言われるニコンの一桁機、 その二代目F2です。 77年発売のF2のフォトミックAの黒いボディーです。 無骨な頭デッカチですが、機械式カメラの頂点です。 愛知・豊橋のカメラ屋で手にいれましたが、当時ニコンはヨドバシカメラには 卸してないと聞いてました。 理由はニコンが一強の時代、ヨドバシが安くうりニコンのブランドイメージを壊す からです。 そんなニコンと共に年を重ねて40年。 さいわいに、わたしもニコンも未だ現役。 これからもニコンで写真のある生活をたのしんでいきたいとおもいます。 (2017/2/17記)
写真総数 | 549 枚 |
アルバム数 | 54 冊 |
2017/03/23 11:07:19
あれまあ。お父さんでしたか。
指にごつごつ感が無く女性の指に思えました。
きっと、軽い郵便物しか取り扱っていなかったのでしょう。(笑)
2017/03/25 11:59:04
ボンタンさん
ここは入りくんだ天然の良港です。
江戸の時代、江戸と浪花を結ぶ大動脈、海路の
風よけの避難港です。
冬の時期、伊豆沖の季節風の西風は、漁師も恐れる
嵐のような大風です。
風避けで多くの商船や、荷船が避難してきました。
この地は避難港と水汲みの町として
大いに賑わいました。
賑わいの中、町には遊女もいたそうです。
岬には日和山なる、天気と海の様子を見る地名も残ります。
そこには『ころばし地蔵』と呼ばれる江戸時代からの地蔵さんも残ります。
本来は航海の安全を祈る地蔵さんですが、
遊女はこれを逆手をとり、海が荒れるようこの地蔵さんを蹴飛ばして転ばしました。
そんな遊女の祈りに思いを馳せ海沿いの旧道を
歩いてみませんか。
2017/03/22 09:43:51
花で売るのですか?
この手がいいですね。
2017/03/22 20:50:31
サヤエンドウを花で売るのです。
以前はマーガレットを栽培してました。
マーガレット街道のネーミングが今でものこります。
今はこちらがいいそうです。
東京の杉並区がこの地に特別老人ホームを作ります。
東京は土地がなく、こちらでは新しく雇用がうまれます。でも、どうなんでしょうかネ。
東京からは一日がかりです。
姨捨山と呼ばれないようにしないと。
2017/03/22 00:27:09
作物を育てるのも大変そうですね。
80過ぎのおばあさんでしょうか?
手の傷やひびに人生が表れている様にさえ見えますね。
2017/10/26 07:45:13
お父さんてます。
名古屋で郵便局に勤めてましたが、親の介護で
国さ戻られたとのこと。
大型の路線の東海バスが136号線からこの地に
ユックリと
降りてきますが、いつも空っぽです。
バス会社には町が補助をしているようです。
本当に限界集落です。
江戸の時代、この地に遊女がいたことは
想像出来ません。